きみのそら ぼくのそら

姉との生活の様子を綴ります

阿二女神(あにめしん)からのお告げ

ある日の昼下がり、非通知で着信がきたんです。出たら、どうやら電話の相手は神様で、僕は天の啓示を受けているんだなあって。僕は派遣会社に陵辱された過去があって電話が苦手なので、すぐに切りたいなあと思いながら耳を貸したんです。

そしたら神様がボソッと「Aチャンネル A-CHANNEL THE ANIMATION……」って。

あとで聞いたら、その神様は阿二女(あにめ)神というらしくて。阿二女神様は名前通りアニメの神様だったんですけど、見ていたアニメが卑猥だからという理由で八福神から追放された過去があるらしいんです。阿二女神様が追放されて、現在の七福神(恵比寿様とかのね!)の体制が確立されたんだとか。神様の間でもメンバーの脱退はあるんだなぁ、そりゃ人間同士でも関係が拗れるわけだわと思いつつ、阿二女神様からのお告げ通りアニメ Aチャンネルを観賞したんです。そしたらもう、涙が止まらなくなっちゃって。人間の涙腺って簡単に切除できちゃうんですよ。刃牙で首に指を突っ込んで視神経を引っこ抜く奴いたじゃないですか。あんな感じで。

 

日常系アニメの「哀愁」

Aチャンネルは所謂「日常系アニメ」に分類されますが、このカテゴリは「物語そのものは面白いわけではないが、可愛いキャラクターが穏やかで起伏のない平凡な日常を過ごす様子に魅力がある」というのが典型だと思います。実際にAチャンネルの物語もその例に漏れず、女子高生たちが学校生活のなかで移り変わっていく四季を楽しむ、ただそれだけです。ただそれだけなのに、僕はこういう作品を見ているとどこか切ない気持ちに浸ってしまいます。それは、日常系アニメ特有の「哀愁」なのでしょう。

女の子たちの穏やかな学校生活、そこにいずれ訪れるのは「卒業」であり、そこに焦点を当てたプロットは多く存在します。そこで最も悲しいのは、学校生活がもう続かないという事実なのでしょうか。卒業生が散り散りになってしまうことでしょうか。僕は、「取り残される者の寂しさ」だと思うのです。ひだまりもけいおんも、三年生の卒業と、残る下級生という構図を強調して描いていました。当たり前のようにそこにいた人たちが次の日にはいなくなっていて、日常にぽっかりと空いてしまう穴。時間は待ってくれず、避けられない別離は、いわば日常系におけるタイムリミットなのでしょう。いずれ来るであろう終わりがあるからこそ、今この一瞬一瞬を全力で楽しむ女の子たちがキラキラして見えるんです。

「るんちゃんは変わらないね」

Aチャンネルでのメイン組は「るん・ナギ・ユー子」の二年生組と、一年生の「トオル」に分かれており、学年という概念が時に残酷に彼女らを分断し隔てる壁として描かれます。今の二年生組も来年には受験生となり、その後卒業が待っているのです。第1話で、トオルは仲良しのるんがナギとユー子と過ごしていることに抵抗を覚えます。学年という見えない壁が、トオルの知らないところで人間関係を形成させている。不安で二年生組に馴染めないトオルに、るんは「変わらないよ、私たち」と言いました。この時点では、能天気で根拠のない気休めの言葉でしかありません。しかし、彼女たちは春夏秋冬を共に過ごし、遊んでいるうちに、一緒にいることが当たり前になります。そして年が明けて受験期が訪れます。来年には、るんナギユー子も受験と卒業という儀礼を通過せずにはいられない。トオルは不安と孤独に苛まれます。そんな不安を払拭したのが、明るく能天気なるんの存在だったのです。第12話で、トオルは「るんちゃんは変わらないね」と言いました。時間が彼女たちの居場所を変えてしまっても、友達であることは揺るがない事実なのです。トオルが入学したときには既に形成されていたるんナギユー子の友達関係にも、るんが変わっていなかったからこそ加わることができたんです。進級しても卒業しても、彼女たちが変わらない限り、友達の輪は切れないのです。「るんちゃんは変わらないね」この言葉があったから、僕は彼女たちのいずれ来る別れも受け入れられます。物理的距離は離れても、心理的にはうんと近くに居続けあうから。だから怖くない。日常系アニメにおける卒業は切ないだけではなくて、それでも私たちは大丈夫だからと時計の針を進めていくような、強い結束を感じられるから好きですね。

 

はるかぜの化学

はるかぜの化学

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 全話見てからだと聴こえ方が変わってくる曲です。