きみのそら ぼくのそら

姉との生活の様子を綴ります

私見

ブンブン!トゥデイズヒカキンズポ〜イント!ドゥルルルルル…ワンハンドレ〜ッド!

僕「ギャハハハハwww」

一刹那

スッ…

僕「何を笑ってたんだっけ…」

一秒前の自分を霧の中に見失う

かつて夢中になっていたこと、熱中していたこと…一体それのどこに魅了されていたのか、後から振り返ってもわからないことって多々ありますよね。そんなとき、普遍(不変)の価値を持つものを知っているといいです。そう、アニメ

彼女、お借りします

anime.dmkt-sp.jp

のことですね。

個人的には雨宮天さん一番のハマり役が来たと言っても過言ではないと思っています。

ほかでもない水原千鶴がいいキャラクターですね。才色兼備で品行方正、全く隙のない女性というのはレンタル彼女としての彼女であり、プライベートでの彼女はビジネスライクで素っ気無くカズヤを突き放す…このプロットだけでもう惹かれました。

思うに、いかなる創作物も筋書きだけを見れば中高生の妄想の産物のように見えるんですね。例えば僕が大学の課題で扱った本

 

雪中梅 (岩波文庫)

雪中梅 (岩波文庫)

  • 作者:末広 鉄腸
  • 発売日: 1952/04/05
  • メディア: 文庫
 

末広鉄腸の『雪中梅』。明治時代の作品なのですが、 あらすじを述べると「政治家を志している青年がたまたま仲良くなった女性が実は許嫁で、彼女の家の巨額の財産を後ろ盾に政界にカチ込むぜ!」というラノベに引けをとらない随分と都合のいいもの。そこに様々な文学的な技巧という、しっかりとした肉付けが施されることで立派な文学作品として成り立っているんですね。

世に名作と謳われる作品の多くは設定や世界観が現実と大きく異なっているというのが僕の私見です。そういった作品は中身があるから大衆に受け入れられる。

創作というのは頭の中の世界を出力する行為だと思っていて。それは具体的に言えば、「各自の創作者が築いた世界と、そこに生きる住民」を外界に描き出すことなんですね。要は寝る前にオリジナルキャラクターを脳内で戦わせるアレも、「頭の中の世界」のひとつで、それを実際に紙に書き起こしたら立派な漫画として認められるのではないか、ということです。

 

___________お姉ちゃん、これでいいかな。採点よろしく!

     うう〜ん!〇〇偉い!満点あげちゃう!

    HIKAKINもそんな簡単に満点は出さないと思うんだけどな… 

                               おわり