きみのそら ぼくのそら

姉との生活の様子を綴ります

ガンダム

そもそもブログって何なんだよと思って検索したんですけど、「weblog」略してブログだったんですね…知らなかった。

 

さて、恥ずかしながらガンダムシリーズ未履修の小生は現在進行形で1st・Z・逆襲のシャアの三点セット、御三家、スターターセットを観ています。物覚えの悪い小生は登場人物やMSの名前をすぐに忘れてしまうのでググりながら何度も繰り返し視聴しているのですが、やっぱり面白いわねこれ。個人的にはマシンよりも登場人物が不器用ながら、めぐりあい、織り成す物語に強く心を打たれました。

 

人間模様

前々から聞いてはいましたが、このシリーズは何よりも人間が活き活きとしていて面白い。  ガンダム=ロボットアニメという先入観を持っていた小生にとって、特に恋愛描写の多さは衝撃的でした。この前まで監査官と絡んでたと思ったらいつの間にかスレッガー中尉と唇を重ねているミライさんには腰を抜かしそうになりました。その後ブライトさんと結婚したと知って今度こそ腰を抜かしました。

 

そのスレッガー中尉が好きなんですよね。上層部からあまり良く見られていないホワイトベースに送り込まれたスレッガーさんは多分左遷か何かだろうけど、年長者としての振る舞いを見せる。しかし戦争は非情なもので、彼は強敵ビグ・ザムを前にGアーマーで特攻をかけ、戦死する。その際の「私情は禁物よ。これ以上の損害は出させん、悲しいけどこれ戦争なのよね。」は有名ですが、その合理的な考えからなる自己犠牲の判断、的確な戦略を打ち出した彼は軍人の鏡。実に良い散り際を見せたと思います。ガンダムの魅力のひとつにそのリアル志向が挙げられますが、僕はこのスレッガー中尉の判断にまさしく「仕事の出来るいい大人」の像を見出すことが出来ました。マジでこんな判断が出来る人は稀有じゃないでしょうかね。

 

カミーユ・ビダン。クレジットがシャアの下で可哀想。人間模様についてなら彼のことは語るには欠かせないかなぁと思います。ネットではガ○ジとかキレる子どもとか精神崩壊とかそういったエキセントリックとされる面ばかり取り沙汰されていますが、小生は別に彼はおかしくないと思います。そもそも我々現実の一般人だって些細なことに腹を立てることがあったり、昨日と今日で主張や発言が正反対になっていることもあります。しかし、ブレながらも次第に個人の揺るぎない意志を獲得していくことが重要なのであり、千変万化する社会で生きていく為のメソッドなのです。ましてや思春期真っ只中かつ感受性豊かなNTであったり、父母の愛情を受けることが出来なかったカミーユの行動の整合性なんて取れていなくて当然です。精神的支柱を持っていない彼は、素直に甘えられる対象がいないから己を磨いたり強く見せることにこだわる。だから名前を馬鹿にされたときや筋の通らない大人に対しては怒りがこみ上げてくる。何となく共感できます。子ども一人に構ってあげることも出来ず、理不尽を振りかざす不甲斐なく無力な大人たち。その代表がクワトロなのでしょうか、彼はどこか他人の気持ちを考えられないというか、理解の乏しさがあったと思います。数多の敵を屠れる立場にいながら、誰よりも人が傷つく、または自分が人を傷つけることを嫌ったカミーユでしたが、クワトロをはじめとした大人たちはその苦しみ、悲しみ、罪悪感に苛まれる彼に寄り添ってあげられませんでした。終盤、精神が疲弊しきった彼は冗談交じりながらとうとう殺人マシーンとしての自覚を語り、あの結末に向かっていきます。誰よりも優しいが故に、醜い人間たちの争いに巻き込まれ心を病んでしまったカミーユ。小生は彼に、並々ならぬ問題意識を感じます。現代社会でも若者たちは歯車として使いまわされ、その心は摩耗していっています。これからの我々は人と人との繋がり、コミュニケーションを尊重して生きてゆけるのでしょうか…